渡辺健主演の「明日の記憶」を見終えた。
泣けた。思い切り泣けてしまった。
見てない人は絶対お奨めです。ぜひ見るべき。
と僕は思う。
なんというか、人生の機微というか。
題材がうまいし、導入部とラストが繋がってるのもうまい。
主人公はラストサムライに続いて実に良い、
奥さん役の樋口可南子がまた良い味だしてる。
涙はカタルシスを生みます。
主人公のつらい宿命を実に美しく描いている。
バックに流れる。もののけ姫に似た音楽が絶妙。
久々にいいものを見ました。
ラストサムライとはまったく違うもので泣けた。
2007年7月20日金曜日
選挙戦
選挙戦が始まった。
政治家っていう商売も大変だぁ。
数年に一回、落ちれば唯の人だもんね。
努力とかそういう問題では無く、いわば人気商売。
昔は役得が大きかったけど、今はマスコミもうるさいし、
大して、儲かるわけでもないし、偉ぶれるわけでもない。
潰しも利かないし、選挙そのものもえらい金がかかる。
なんだかんだいって、政治家の人って理想家肌なのかなぁ。
そういえば、違う意味で社長も大変だろうなぁ。
なんだかんだいってもサラリーマンは気楽な商売。
サラリーの原資は、結局は自分の働きなんだけど、
月々のサラリーを確保する責任は社長だもんね。
つくづく俺はリスクをとらない生き方だなあ。
これで良いのかなぁ。
政治家っていう商売も大変だぁ。
数年に一回、落ちれば唯の人だもんね。
努力とかそういう問題では無く、いわば人気商売。
昔は役得が大きかったけど、今はマスコミもうるさいし、
大して、儲かるわけでもないし、偉ぶれるわけでもない。
潰しも利かないし、選挙そのものもえらい金がかかる。
なんだかんだいって、政治家の人って理想家肌なのかなぁ。
そういえば、違う意味で社長も大変だろうなぁ。
なんだかんだいってもサラリーマンは気楽な商売。
サラリーの原資は、結局は自分の働きなんだけど、
月々のサラリーを確保する責任は社長だもんね。
つくづく俺はリスクをとらない生き方だなあ。
これで良いのかなぁ。
2007年7月19日木曜日
見積もり
既存プログラムを修正する作業を
見積もるはめに陥っちゃいました。
変更の外部仕様は、まあはっきりしてる。
でも既存プログラムの構造が全く見えない。
こんな巨大プログラムのくせに、
何でドキュメントが無いんだよー。
一体、何人で何ヶ月掛けて書いたんだよぉー。
しかも修正やるメンバーを確定させない。
誰がやるかわからんって、そんな無茶な。
正直、個人差はピンキリなら10倍だってえの。
それどころか、人によってはマイナス人月の
奴だっているのに・・・。
どーしよー。
回答期限があるから、えいやっで出すしかないよなぁ。、
でも根拠はって言われるのが目に見えてるもんなぁ。
自分が作ったもんなら、根拠らしきもんも書けるけどさぁー。
こんな読めないコード、どうやって弄るんだよー。
行数でもカウントして、行数ベースで出すかぁー。
あぁ、創造的な仕事がしたいなあ
見積もるはめに陥っちゃいました。
変更の外部仕様は、まあはっきりしてる。
でも既存プログラムの構造が全く見えない。
こんな巨大プログラムのくせに、
何でドキュメントが無いんだよー。
一体、何人で何ヶ月掛けて書いたんだよぉー。
しかも修正やるメンバーを確定させない。
誰がやるかわからんって、そんな無茶な。
正直、個人差はピンキリなら10倍だってえの。
それどころか、人によってはマイナス人月の
奴だっているのに・・・。
どーしよー。
回答期限があるから、えいやっで出すしかないよなぁ。、
でも根拠はって言われるのが目に見えてるもんなぁ。
自分が作ったもんなら、根拠らしきもんも書けるけどさぁー。
こんな読めないコード、どうやって弄るんだよー。
行数でもカウントして、行数ベースで出すかぁー。
あぁ、創造的な仕事がしたいなあ
2007年7月18日水曜日
サーバのアクセスログ
客先から、セキュリティ対策強化の一環として、
サーバのアクセスログを月1回出せと来たもんだ。
くっそー、バカバカしい。
こんな、LAN内のサーバでアクセス制限もかけてる上に
作業を行う時はローカルPCにコピーして行なう状況で、
サーバのアクセスログなんて、何の意味があるんだ?
本当の情報漏洩への対策を考えてるなら、ありえない要求だ。
どうせ、自分ではプログラムの1行すら作らない管理側の人間が、
ホストコンピュータ時代の古い概念で作った対策だろう。
しょうがない、若いのに頼んで設定してもらうか。
おーい頼むよ。ぶつぶつ・・・。えっ、何?
Windowsサーバでアクセスログって簡単には出ないって。
どうすんだよ。これ。えっ、Linux入れてsambaにするって。
冗談だろ。えらい手間かかるやん。
ドメインどーすんだよ。
しっかし、こんなくだらない事のために・・・
管理側はアクセスログが提出されれば、
それで情報管理が為されていると満悦なのかね。
仕事のやる気が思いっきり失せてしまった。
まあ、元々それほどは無いんだけどね。
一体、何のために俺らに仕事を出してるんだ。
何が大事なんだよ。と強く問いたい。
ハアー(ためいき)
サーバのアクセスログを月1回出せと来たもんだ。
くっそー、バカバカしい。
こんな、LAN内のサーバでアクセス制限もかけてる上に
作業を行う時はローカルPCにコピーして行なう状況で、
サーバのアクセスログなんて、何の意味があるんだ?
本当の情報漏洩への対策を考えてるなら、ありえない要求だ。
どうせ、自分ではプログラムの1行すら作らない管理側の人間が、
ホストコンピュータ時代の古い概念で作った対策だろう。
しょうがない、若いのに頼んで設定してもらうか。
おーい頼むよ。ぶつぶつ・・・。えっ、何?
Windowsサーバでアクセスログって簡単には出ないって。
どうすんだよ。これ。えっ、Linux入れてsambaにするって。
冗談だろ。えらい手間かかるやん。
ドメインどーすんだよ。
しっかし、こんなくだらない事のために・・・
管理側はアクセスログが提出されれば、
それで情報管理が為されていると満悦なのかね。
仕事のやる気が思いっきり失せてしまった。
まあ、元々それほどは無いんだけどね。
一体、何のために俺らに仕事を出してるんだ。
何が大事なんだよ。と強く問いたい。
ハアー(ためいき)
2007年7月17日火曜日
オブジェクト指向のツボ
久しぶりに仕事関係の本を読んでいる。
平澤章著「オブジェクト指向でなぜつくるのか」
すごい、オブジェクト指向のツボを押さえきっている。
類書にありがちな、本当にこの著者は使ってるのか?
という疑問を抱く余地が全く無い。
極めて深く理解し、かつ抽象論では無く実用していると感じる。
様々な言い回しが、まさに目からうろこだ。
内容の抜粋を書いてみる。
クラスは整理整頓、ポリモーフィズムと継承は 無駄を省くため
もう少し詳細に言うと、
クラスは
・サブルーチンと変数をまとめ
・変数やサブルーチンを隠し、
・たくさんの同時動作実体=インスタンスを作る
仕組みである。
従来のサブルーチンは呼び出される側のコードをまとめる仕組みなのに対し、
ポリモーフィズムは呼び出す側のコードをまとめる仕組み。
即ち、共通メインルーチンを作る仕組みである。
また、継承はクラスの共通部分をまとめる仕組み。
(まとめるとはコード重複を排除すること)
一方で、オブジェクト指向分析は
・クラス=集合
・メッセージパッシング=役割分担
汎用の整理術である。
そもそもモデリングの目的は、
・業務分析:現実世界の様子をそのままとらえる
・要求定義:コンピュータの性質を考慮し、肩代わりさせる仕事の範囲を決める
・設計:制約条件を考慮してソフト構造を決める。
こんな本を書ける人間になりたいと痛切に思う。
平澤章著「オブジェクト指向でなぜつくるのか」
すごい、オブジェクト指向のツボを押さえきっている。
類書にありがちな、本当にこの著者は使ってるのか?
という疑問を抱く余地が全く無い。
極めて深く理解し、かつ抽象論では無く実用していると感じる。
様々な言い回しが、まさに目からうろこだ。
内容の抜粋を書いてみる。
クラスは整理整頓、ポリモーフィズムと継承は 無駄を省くため
もう少し詳細に言うと、
クラスは
・サブルーチンと変数をまとめ
・変数やサブルーチンを隠し、
・たくさんの同時動作実体=インスタンスを作る
仕組みである。
従来のサブルーチンは呼び出される側のコードをまとめる仕組みなのに対し、
ポリモーフィズムは呼び出す側のコードをまとめる仕組み。
即ち、共通メインルーチンを作る仕組みである。
また、継承はクラスの共通部分をまとめる仕組み。
(まとめるとはコード重複を排除すること)
一方で、オブジェクト指向分析は
・クラス=集合
・メッセージパッシング=役割分担
汎用の整理術である。
そもそもモデリングの目的は、
・業務分析:現実世界の様子をそのままとらえる
・要求定義:コンピュータの性質を考慮し、肩代わりさせる仕事の範囲を決める
・設計:制約条件を考慮してソフト構造を決める。
こんな本を書ける人間になりたいと痛切に思う。
2007年7月16日月曜日
心はからだの外にある
本を読んでいる。河野哲也著「心はからだの外にある」
JJギブスンが唱えた生態学的心理学がベースだそうだ。
「私とは何者か」「自己の本質とは何か」という問いかけそのものが、
間違いだと言っている。自分探しも同様の誤謬だそうだ。
デカルトの「我思うゆえに我あり」のパラダイム。
また間接知覚の考え方。即ち我々は真の外界を知ることはできず。
私の見ている机はあなたの見ている机とは違うという考え方。
僕自身も信じていた。
が、この本では、これらが覆される。
帰結として、心、通常は自分の中にあると思っている
心も外界との関係性の上でのみ成立するものであり、
独立して存在するものではない。
だからこそ、からだの外にある。
自己は、関係性の中に存在する。
実際、自分を変えようとする際に、
心が変われば行動も変わるでは無く、
行動を変えれば心も変わるという一種逆転のアプローチ。
天職は探すものでは無く、行うことだ。とか
役割が人を作る。とか。
石の上にも3年。とか。
人間とは人の間にあるの謂いだ。とか
未だ読み切っていないし、内容の咀嚼もできていないが、
重要なことが書いてあるように感じる。
心がしっかりすれば、云々という考え方を離れ
外界との関係性の中に心があるとわかれば、
間違った問いが解消されるかも知れない。
JJギブスンが唱えた生態学的心理学がベースだそうだ。
「私とは何者か」「自己の本質とは何か」という問いかけそのものが、
間違いだと言っている。自分探しも同様の誤謬だそうだ。
デカルトの「我思うゆえに我あり」のパラダイム。
また間接知覚の考え方。即ち我々は真の外界を知ることはできず。
私の見ている机はあなたの見ている机とは違うという考え方。
僕自身も信じていた。
が、この本では、これらが覆される。
帰結として、心、通常は自分の中にあると思っている
心も外界との関係性の上でのみ成立するものであり、
独立して存在するものではない。
だからこそ、からだの外にある。
自己は、関係性の中に存在する。
実際、自分を変えようとする際に、
心が変われば行動も変わるでは無く、
行動を変えれば心も変わるという一種逆転のアプローチ。
天職は探すものでは無く、行うことだ。とか
役割が人を作る。とか。
石の上にも3年。とか。
人間とは人の間にあるの謂いだ。とか
未だ読み切っていないし、内容の咀嚼もできていないが、
重要なことが書いてあるように感じる。
心がしっかりすれば、云々という考え方を離れ
外界との関係性の中に心があるとわかれば、
間違った問いが解消されるかも知れない。
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